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横浜地方裁判所 昭和57年(わ)349号 判決 1982年10月26日

一、事件名

所得税法違反

一、宣告日

昭和五七年一〇月二六日

一、裁判所

横浜地方裁判所第五刑事部七係

一、裁判官

朝岡智幸

一、検察官

青木幹治

一、被告人

氏名

森俊雄

年齢

大正一一年九月二日生

職業

会社役員

本籍

神奈川県川崎市川崎区砂子二丁目六番地二

住居

同県鎌倉市山ノ内六五〇番地

主文

被告人を懲役一年四月及び罰金五、五〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、個人で株式の売買取引を行っていたものであるが、所得税を免れようと企て、株式の売買取引に架空名義を用いて、株式を取得するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

第一  昭和五三年分の実際の総所得金額が一一二、四七六、四三六円であったのにもかかわらず、昭和五四年三月八日神奈川県藤沢市朝日町一番地の一一所在の所轄藤沢税務署において、同税務署長に対し、昭和五三年分の総所得金額が四、三四一、六二七円で、これに対する所得税額が一四四、五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により昭和五三年分の正規の所得税額六九、二〇八、一〇〇円と右申告税額との差額六九、〇六三、六〇〇円を免れ、

第二  昭和五四年分の実際の総所得金額が一八、八九五、九九二円であったのにもかかわらず、昭和五五年三月四日前記藤沢税務署において、同税務署長に対し、昭和五四年分の総所得金額が四、三四八、七八四円で、これに対する所得税額が一六七、三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により昭和五四年分の正規の所得税額五、九八五、六〇〇円と右申告税額との差額五、八一八、三〇〇円を免れ、

第三  昭和五五年分の実際の総所得金額が二六〇、二八八、二〇二円であったのにもかかわらず、昭和五六年三月六日前記藤沢税務署において、同税務署長に対し、昭和五五年分の総所得金額が五、五〇五、三九三円で、これに対する所得税額が七四、一〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により昭和五五年分の正規の所得税額一七九、〇五九、六〇〇円と右申告税額との差額一七八、九八五、五〇〇円を免れ、

たものである。

(法令の適用)

一  昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項、二項(懲役及び罰金の併科刑により処断)

一  刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、四八条(懲役刑については犯情最も重いと認める公訴事実第三の罪の刑に併合加重。罰金計については免れた所得税額の合算額の範囲内において量刑する。)

三  刑法一八条、二五条一項

(量刑理由)

被告人は、三恵不動産株式会社の代表取締役として、貸ビル、貸駐車場の管理業務を本業とするものであるが、昭和三五年ころから株式取引をはじめ、次第に信用取引をも手がけるようになったが、昭和四九年に父の死亡により約一億五、〇〇〇万円の無記名預金を相続したこと及び証券会社の積極的な取引勧誘を受けたことなどから、日興証券株式会社川崎支店ほか八証券会社において、仮名で多数回にわたり株式売買をするようになった。被告人は、昭和五三年に税務調査を受け、仮名株式を発見されて修正申告をなした経験を持ち、株式取引が年間五〇回あるいは二〇万株以上の場合は、そこから発生した株式売買益に課税されることを知悉しており、かつ、昭和五三年度には二七二回一、〇九二万三、〇〇〇株、同五四年度は一二三回四一〇万株、同五五年度には八五回二七六万八、〇〇〇株の取引に達し、判示認定のとおり本件の対象年度である昭和五三年ないし五五年までの三年間に、合計三億七、八〇〇万円の株式売買益を獲得したのにこれを申告せず、その脱税額は二億五、三八六万七、四〇〇円に達し、正規の所得税額二億五、四二五万三、三〇〇円の実に九九パーセントを脱税していたものである。

ところで、現在のわが国の税制は、申告納税制度が採用されており、それは国民の公正な経理に基づく税務申告を基礎とするものであって、不正申告者の出現は、他の誠実な納税申告者の納税意欲(納税倫理)を著しく阻害し、申告納税制度の基盤をくずし、ひいては、国の財政を破綻させ、国家、国民に甚大な影響を与えることになる。かくして租税ほ脱犯については、近時その反社会性・反倫理性が強く指適され、昭和五六年の法改正による刑の加重等もこの動向に沿ったもので、この種事犯に対する量刑も厳しいものになりつつある。

さて、本件について量刑を考えるに、脱税額が巨額で、ほ脱率も極めて高率であり、仮名取引による株式売買益の秘匿という不正行為の態様、昭和五三年の税務調査による仮名取引の露見と修正申告をなしたのにもかかわらず、直ちに改善策をとらず、引き続き同様の態様の脱税を反復継続して来たもので、納税意識が甚だ稀薄であることなどを総合すると、本件摘発後、後記の過少申告加算税、重加算税等を全額納付ずみであるなど被告人に有利な事情を考慮しても、実刑が相当であると一応いえる事案である。

ただ、しかし、本件は株式の継続的取引による収益という雑所得に関するものであり、しかも損益通算、損失の繰り越し、繰り戻し等は税法上認められておらず、利益の生じた年分についてのみ課税されるという特殊性がある。この間の事情については、弁護人が掲記する東京地方裁判所昭和五六年六月二九日判決・判例時報一〇一六号三頁の量刑理由に詳細な説示があり、当裁判所もこれを妥当なものと考える。そして、証券市場における株式取引は利益を得る者があれば、その反面損失を蒙る者が必ず生じるわけであって毎年毎年利益を挙げ続けるということは甚だ困難な事柄であって継続的に取引を続ける以上一時的に利益を挙げ得ても、将来、いつ損失を蒙るかわからないという、いわば常に利益と損失の可能性を潜在的に内包した浮動的状態の上にあって、利益が確実なものとして固定化しにくいという特性があり、納税意識が稀薄な理由もこの点から生ずるものと考えられる。そして、被告人は、株式取引にかかる損益は大部分をそのまま株式や、預金・信用保証金としてプールし、将来の株式取引の資金に充てていたものであるが、本件対象年度となっている昭和五三年から同五五年までの三年間で株式売買益約三億七、〇〇〇万円余りを獲得しながら、昭和五六年度には、三億八、〇〇〇万円余りの巨額な損失を蒙って、結局三年間の右の儲けは、一年で消し飛んでしまったのである。もとよりかような事情の存在は被告人の刑責に直ちに消長を及ぼすものではないが、本件ほ脱所得の内容を構成する所得の特殊性として量刑上、被告人に有利に斟酌すべきであり、ほ脱金額の高額、ほ脱率の高率のみから悪質な事案であると速断するのは相当でない。そして、被告人の株式取引が多くなったのは、売買手数料稼ぎを目的とする証券会社の積極的な取引の勧誘を受けたことによるほか、特に昭和五三年からは、証券外務員荒木武の指導を受けるようになったためであるところ、仮名口座の設置、移動信用取引からの現引などの一切を同人が取りしきっていたもので、仮名口座による株式売買益の隠匿という不正行為については同人が大きな役割を果していたと認められる。そして、また、本件摘発後、被告人は親から相続した不動産を処分するなどして過少申告加算税二億五、〇五〇万二、五〇〇円、重加算税七、四七〇万六、三〇〇円、延滞税二、〇六一万三、五〇〇円合計三億四、五八二万二、三〇〇円を納付ずみであり、地方税四、五〇〇万円は本年末に納入する予定になっていること、株式名義を仮名名義から自己名義に変更し、荒木武との関係も精算するなど、改善策を講じていること、本件を深く反省悔悟していること、これまで、本件を除き特に問題となる社会生活上の問題はないこと等被告人に有利な情状もある。

そこで、以上の有利・不利の一切の事情、その他諸般の情状を総合するとき、主文掲記の刑をもって相当と認め、かつ、懲役刑については、特に今回に限り刑の執行を猶予し、将来二度と再び脱税事犯を犯すことのないよう自重自戒をうながすこととした。

(裁判官 朝岡智幸)

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